大きくなったら何になる?
本日は、久々に読書なぞしてみました。
・・・・と言っても、午後のほんのヒトトキでしたけれども。
『卵と小麦粉それからマドレーヌ』(石井睦美・著)
初めて知った作者さんでしたが、本屋さんで、装丁とタイトルに目が止まり、
ついつい手を伸ばしてしまったのでした。
オビに書かれていたのは、
『「もう子どもじゃないって思ったときって、いつだった?」
少女は自分に問いかけるー』。
主人公は、13歳になりたての女の子。
中学に入学して、新しい友達が出来、誕生日を迎えて・・・
それまで強い絆で結ばれいると信じていた母親が、
「爆弾発言」をしたコトで、彼女は?????
・・・というのが、おおまかなアウトライン。
さて。
うちには、もうすぐ12歳になる娘がいるので、
そんなコトも思い浮かべながらの母親の視点と、
むかーし13歳だった自分を思い出す娘の視点で読んだワケですが・・・・。
物語の中で、母親は、自分の夢を追うために、家族と離れて暮らす決意を
するんですが、
当然、主人公は猛反発します。
で、こんなやりとり。
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「菜穂が一年生のときだったかな」
ベッドのわきにひざをついて座って、ママがわたしに話しかける。
(中略)
「ママは大きくなったらなにになるの、って聞いてくれたことがあったんだ。
もうおとなになって、専業主婦で、なにになりたいかなんて思いもしなかった。
なにになったのって聞かれたなら、菜穂のおかあさんってまちがいなく答えられたけど」
だったらそのままわたしのおかあさんやっててよ。こころのなかでいう。
(中略)
「かわいいな、そんなこと聞いてくれるなんて。ママはうれしくなって、菜穂をだきしめ
ようとした。そしたら、菜穂がすごく真剣な顔をしてママを見てたのよ。
どきっとしたわ。なにかになることなんて、ママはもうとっくにあきらめていたのに、
菜穂は真剣に聞いてくれてるんだと思って。これからでも、ママでも、なにかになれるかなって、
そう思った」
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主人公が、「だったらそのまま、わたしのお母さんやっててよ」って心の中で呟くんだけど、
そのキモチ分かるなあ・・・っていうか、
子どもから見ると、お母さんっていうのは、決して「オンナ」じゃなくて、「母」なんだよなあって、
しみじみ思うんですよね。
育ち方にもよるのだろうけど、わたしの母も、ずっと専業主婦で、家にいたので、
それが当たり前だったから、家のコトは母がやるっていう図式が当然だったし、
家族のコトよりも自分のナニカを優先させる・・・なんてコトは、あり得ないと思ってた気がします。
(いまのうちの母は、その反動もあってか、無茶苦茶ゴーイングマイウェイですが^^;)
そのくせわたしは、絶対母みたいにはなりたくないって思っていて、
もっと自分っていうものを持とうよ・・・なんて軽蔑していたバカ娘でした。
そして現在。
わたしは、中途半端に、「母親」と「わたし」のバランスをとりながら、
生きているなあーって思う、かな。
ときどき、そのジレンマに悩みながら、それでも、「わたしはわたしだ」って
自分に言い聞かせながら。
理想の母親像、なんてもののカタチを、自分で修正しながら・・・・。
大きくなったらなにになる?
40歳になったら、なにをする?
45歳になったら、なにをする?
50歳になったら? 60歳になったら?
中学生の母になる。高校生の母になる。
社会人の母になる。そして、孫のおばーちゃんになる?
40歳になったら、40歳のわたしの歌を歌う。
ギターを弾く。ウクレレを弾く。
他には?
「夢」だなんて、そんなコトバで表せなくってもいいんです。
ここで終わりだ、なんて、思っていなければいいと思うんです。
大きくなったらなにになる?
・・・・って、自分に訊きながら、この先の人生も歩いていきたいなあって、
わたしは、そう思いました。