おかーちゃんデショ!?
部活も終わって、ほんとーに春休み満喫中のむすめっち。
ケイタイは、四六時中、メールの着信音を鳴らしていて、
地に足がついてないカンジ。
ふわふわ。
今日は、そろばんの先生と数人の6年女子とで、なんかお別れ会みたいなコトになり、
朝から出かけて行って、昼食までご馳走になって帰ってきた。
そして、帰るやいなや、
「そのメンバーで、プリクラ撮るのに誘われたから、行って来ていい?」
と、きたもんだ。
1回許すと、これだよ!!
てめー、調子こいてんじゃねーぞ!
と、思ったけど、自分で考えろ、と、言った。
案の定、「いってくる」と言って、出かけた。
わたしの中で、いろんなキモチが、戦っていて、苦しい。
わたしは、自分が厳しい父に育てられて、
たいていのことは、「ダメ」だった。
理不尽な「ダメ」も受け入れて、育った。
もうちょっと信用して欲しいと思いながらも、
「親の責任だから」
という印籠の元、いろんなことを諦めてきた。
たとえば、高校の卒業旅行。
たとえば、高校3年のときに免許をとること。
周りのみんなに「どうしてダメなのー?」って言われて、
いっぱい口惜しかったけど、そのまま受け入れてきた。
まあ、行けなくても、免許とれなくても、結果的には大したコトはなかったけど。
早々に免許とっていたら、父が心配していたように、交通事故してたかもしれないし、
卒業旅行に行って、ナニカあったかも知れないし、それは、なんとも言えないさね。
さてさて、そんなわたしは、おかーちゃんになりました。
時代も変わってきちょります。
でも、時代が変わっても、親と子の責任と義務は、そんな変わらないだろ?
信用しているっていうのと、放任主義とは、また別のお話です。
心配しているっていうのと、過保護っていうのも、また別のお話です。
わたしから見たら、むすめっちは、まだまだ子どもです。
なーんの責任もとれやしません。
でも本人がそう思っていないところが、ミソ。
ちょっとは痛い目に合わないと、わかんないこともいっぱいあるわな。
わたしは、転ばぬ先の杖で育てられたから、こーーーーーんなにも意気地なしなのかも知れないし。
わたしは、わたし。
むすめっちは、わたしじゃない。
プリクラとりにいくくらい、いいじゃん。
そうですよ、そりゃー、そうです。
でも、何が良くて、何がダメなのか、その線を引きたいんだってば、いつでもわたしは。
分かりやすく!
クチばっかり達者になってきましたよー、すごいですよ、へ理屈は。
先日も、ケイタイメールについて、ちょっと苦言を呈したらば、
そりゃーもう、顔色変えて、大変でした。
そして、頼みごとがあるときだけ、「おかぁさぁーん」。
ま、多分わたしもそうだったけどねっ。
権利主張するんなら、義務もこなせよ、新米中学生。
「かーちゃん、イライラしとるの?」
こぐまっちが、心配そうに聞いてきます。
今日のお昼は、二人で買い物に行って、こぐまの好きなモスバーガー食べました。
そして、桜並木ドライブで、遠回りして帰ってきました。
3日ほどまえに、こぐまが「あ、サクラ咲いとるね」って言ったときに、
わたしが「まだ満開じゃないけどね」って言ったことに、彼は気分を害していたらしく、
今日はわたしが、
「ほら、サクラ!」
っていうと、すかさず、
「まだ満開じゃないよ」
と、言いました。そして、
「ほら、そう言われると気分よくないでしょ? 俺のキモチわかった?」
って、ニッコリ笑って言いました。
かわいーヤツです。
それから、二人で「あ、サクラ」「まだ満開じゃないけどね」っていう会話を、
サクラの木を見つける度に、声を揃えて言いながら。
むすめっちへのお土産に、彼女の好きなミスドを買って帰ってきたのにね。
たぶん、ピアノの時間ぎりぎりにしか、彼女は帰ってこないでしょう。
は~…おかーちゃんって面倒くさい。
でも、やっぱり、大事な事だよなあー、そのすべてが。
こぐまっちの「満開じゃないけどね」みたいにさ、そんなふうに、うまいこと、
伝えられればいいのにねえ、このわたしのユウウツも。
お互い様か、それすらも。
ひとつ、確かなことは、わたしの思うとおりになんか、むすめっちは育てられないってこと。
それを、まずわたしが思い知ること。
その上で…自分がどんな「かーちゃん」でいようと思うのかってことでしょ、たぶん。
そんなふうにして、いつの間にか、どっぷりつかっている「第二次子育て大戦」。
『続・お母さんデショ』っていう曲が作れるかも、なんて思う、今日この頃。
あと数日で、むすめっちは13歳です。