月見て、わたし。
ぼちぼちとサイト名と関連したコトも、書いていこうと思います。
わたしが「月」が好きなのは、友人たちには暗黙の了解だったりしますが、
最初に「わたし、月が好きでね・・・」って言うのは、結構、緊張するんですよ。
「はぁ?」とか思われそうで。
わたしの歌っているオリジナルソングで、一番「良い出来」と思われるのが、
『お月さまが笑ってる』という曲なんですが、
この歌の中で、わたしは子どもと手を繋いで歩いていて、
「キミは信じられないかも知れないけど、子どもだったママがいる」
と、話しています。
その子どもだったママを、あのお月さまは、あそこから見ていて、知ってるんだよ、と。
だから、今エラソーに母親面してるわたしのコトを、お月さまはきっと笑ってるだろう。
でも・・・わたしが月を好きなのは、別に、そういうコトじゃない。
理由なんてない。
ただただ、好き。月を見つけると、嬉しいし、切ない。
先日、お母さん向けのコンサートをしたときに、MCとして話したコトだけれど、
わたしはずーっと前から、子どもたちに、
「ママは、もしも死んじゃったら、お星さまになるんじゃなくて、お月さまに行くから。
そうして、あそこからあんたたちのコトを見てるから。
なにかママに話したいときは、月に向かってお話してね」
と、言い続けてます。
まだ今より小さかった息子は、わたしにそう言われて、
しばらく考え込んでから、
「じゃあ、ちゃんと『だあれ?』って言ってね」
と言いました。
返事を要求されるとは想定外で、ちょっとコマッタのを覚えています。
死ぬだなんて縁起でもないコトを・・・と、思われる方もいるかも知れませんが、
わたしにとっては、この刷り込みは、結構本気で、大事なコトだったりします。
人間、いつどこで、どうなるかなんて分からない訳ですから。
そんな刷り込みをしてあるので、うちの子どもたちは、
なんにも言わなくても、夜空に月をみつけると、わたしに教えてくれるようになりました。
「ママ、月でてたよー」
子どもたちだけじゃなくて、友人も、月を見るとわたしを思い出すって言ってくれたりします。
「今頃、彼女もこの月見てるだろうか?」
と。
わたしは、思うんですよね。
そういうヒトが、周りにたくさんいて、みんながそう思ってくれるんならば、
「わたしが死んだら月に行く」っていうのは、まんざら作り話でもないんじゃない?
わたしがこの世の中から消え去ったあとでも、月がそこにある限り、
そのヒトは、月を見て、わたしを思い出してくれる。
そこに、わたしは存在出来る。
わたしにとって、それは「月」だけど、案外、誰にでもそういうモノって、1つや2つ、あったりするかも。
○○さんって言えば、コレ!みたいな、そんなイメージ。
そういうものがあるっていうコトが、生きてるってコトかも知れないなあと、今、思った。うん。
別に、キレイな存在として、残りたいと思ってるワケでもない。
どーっしようもないヤツだったなぁーと、回想されるんでもいい。
わたしは、月へ行く。
月で「ここにいるよ」と、在り続ける。
わたしにとって、月は、そんな存在。