子連れで出かける
今日は、息子を連れて、朗読劇を観にいきました。
子連れでの、お出かけ。
『子連れで出かける』というコトバの意味が、
だんだん変わってきているなあーと思います。
もうすぐ8歳になる息子。
彼が2歳の頃から、わたしは
「子どもを連れて出るなら文句ないっしょ!?」
と、背中にでっかく書き殴って、
親子合唱団やらなんやら、出かけていくようになりました。
まだ父も存命の頃で、祖母もいまほど混乱してなかった。
上の子は、年長さんだったし、
今思い返しても、我ながらよく続けたなあーと思うんだけど。
とにかく、日曜日に、家にいるのがイヤでした。
三度の食事の支度もだけど、
『本日休養中』の夫がゴロゴロしているのを、
子どもが邪魔しないように気を遣う・・・それが本当にイヤでした。
バスと地下鉄を乗り継いで、歩いて、両手に子ども。
練習中にも、足元にぐずる2歳児。
それでも、わたしは「わたしの居場所」を求めて、
せっせと出かけていきました。
その気持ちは、多分、今もおんなじ。
わたしが出かけていきたいのは、いつだって、そこが、
『わたしの居場所』だと思えるところ。
決して、『○○ちゃんのママ』というだけじゃなく、
わたしを求めてくれる、そんな場所。
でも、連れていかれる子どもの立場は、確実に変わりました。
わたしにくっついていればそれで良かったあの頃の、二人。
もちろん、あの頃だって「やだ」って、言われなかったワケじゃないけど。
今は、子どもにも子どもの世界があって、ルールがある。
それを尊重しようとすると、また難しいときもある。
そして、夫と子どもの関係が確実に変わったこと。
わたしの付属品のように扱われていたのが、
マトモに会話が出来るようになって、変わってきました。
共通の話題があれば、もう「子ども」=「邪魔者」ではなくなりました。
このまま、わたしは身軽になれるのかしら。
ふと、そんな気持ちになるけど、
きっと、そんな単純な図式ではないでしょう。
カラダは身軽になったとしても、子どもとのカンケイは、軽くはならない。
わたしは、やっぱりずっと「母親」だから。
責任は、ずっと、ここにあるから。
「ここにいるよ」と言い続けるのだから。
ただ。
ここにいるのは、紛れもなく「わたし」なんだ。
キャリア11年と3ヶ月の「母親(ママ)」じゃなく、
キャリア37年と4ヶ月の「わたし」なんだ。
わたしが、「ここにいる」と言い続けるんだ。
まだ無邪気な息子は、なんだかんだでゴキゲンに、
今日のお出かけを満喫しました。
こんな一日を、覚えておこう・・・・。
わたしは、ちゃんと覚えておこう。
ずっと。