心を育てる
昨日の続きだったりもするのだけど、
打たれ強い娘は、冗談じゃなく、わたしの罵声をしょっちゅう浴びて
育ってきたからかも知れない、と、思う。
怒鳴られなれているから、多少のコトじゃ、びびらない。
威張れないけどね^^;
でもホントに、
「ぶったな!? 親にもぶたれたことないのにっ」
・・・っていう台詞もあるように、
ぶたれたコトのないヒトは、初めてぶたれると、すごく屈辱だと思う。
事実、わたしは、コツンと叩かれるコトはあっても、
頬を平手打ちというコトを親にされたのは、17歳のときで、
だから、4年生のときの担任の先生が、
なにかあると立たせて、平手打ちするヒトだったんだけど、
それが本当にイヤだった・・・。
怖かった。
父親に平手打ちされたときも、理不尽な理由で、
しかもヨッパライの父に殴られたので、
それはもーーーーーーーナットクいかなくて、
翌日、長い手紙を書いたほど。
だからと言って、体罰を容認しているワケではないけど。
最近は、怒られ慣れていない子どもが多くて、
だから謝り方も知らない子どもが多いような気がして。
心を育てるっていうコトは、いい要素だけじゃいけないし、
マニュアルに頼ってはいけないんじゃないかって、思う。
親は、お手本になんかなれなくて良くて、
ただのサンプルとして存在すればいいじゃんか、と、思う。
そうなりたいと思うか、絶対ならねーと思うかは、本人の勝手。
だけど・・・だからこそ、他人の真似やカッコつけじゃなくて、
精一杯生きて存在してなきゃいけないんじゃないかと、思う。
「あなたを産むために、お母さんは生まれてきた」ワケじゃないんだ。
「お母さんは、お母さんの人生を一生懸命生きているから、
だから、あなたもあなたの人生を一生懸命生きればいいんだよ」
そう、コトバじゃなくて、わたしの背中がそう言えればいい。
なんでうちの母親は、感情的なんだろう?
なんでうちの母親は、歌ってるんだろう?
なんでうちの母親は、だらしないんだろう?
いろいろ思うだろうけど、
わたしは、感情的で、歌ってて、だらしないお母さんからしか貰えないモノを、
たくさんたくさん、あげられる。
冷静で、歌ってなくて、家庭的で、きれい好きなお母さんからしか
貰えないモノは、あげられないけども。
そうして、思う。
親子だけじゃない。
友達や恋人や・・・いろんな出逢いにも、心は育つんだろうなあって。
だから、わたしの心も、まだ育っているんだろうなあって。
もっと、大きく、強く、優しく・・・・なりたい。