いつか、そうなる?
ふとしたコトがキッカケで、思い出す。
「あんなコト言われたっけなあー」
「こんなふうにも、言われたっけなあ」
執念深いヤツだなと、思わなくもないけれど、
次々に思い出す、過去の台詞たち。
まだ赤ちゃんだった我が子と、
悶々としていた日々。
一生忘れてなんかやらない。
数々の、夫の暴言について、わたしはそう思って生きてきた。
きっと彼はもう覚えてもいないだろうし、
そもそも、それをわたしが「暴言」と思っているだなんて、
想像したコトもないだろうと思う。
でも、わたしにとっては、そうなのだ。
ちょっと前に、新聞の投書で、どこかの奥さんが、
「若い頃はいろいろあったけれど、年老いて二人になって、
先日主人が『宝はおまえだよ』と、初めて言ってくれたので、
それだけで全部もういいと思えました」
みたいなコトを書いてらした。
そうなのかも知れない。
でも、わたしは、今のわたしには、それこそが恐怖だ。
怒りを持続させるコトは難しい。
(ヒトとヒトだけでなく、国と国だってそうなんだと思う。)
そうでなくっちゃ、恨み辛みがつのって膿んで、
「許す」なんてコトバはなくなってしまう。
今ですら、もう時々しか思い出せない。
あのときの、あの絶望的な感情は、戻ってこない。
許す、許さないの次元じゃない。
忘れてしまうのだ。
なんとなく、どうでもよくなっていくのだ。
そして、いつかある日、ふと優しくされて(されるかな?)、
「ああ、このヒトと結婚して良かったわ」
なんて思うのかも知れない。
それでいいのか?
それでいいじゃん。
じゃあ、あなたはどうしたいの?
蒸し返して、土下座でもしてもらえば気が済むの?
違います。
うまく言えないけど、あのとき、わたしの中で出した結論みたいなモノがあって、
わたしは、それと共存して生きていきたいだけなのだ。
なけなしのプライド、つまり「わたし」を守るために、
わたしが自分に言い聞かせたコトバを、忘れたくないだけなのだ。
そうして、それこそが、わたしの原動力だったのに。
どうでもいいなんて思ったら、わたしはもう動けなくなってしまわないか?
歌えなくなってしまわないか?
だから、確かめるように、
わたしはわたしの傷跡を、指でときどきなぞる。
子どもの成長と共に、
その傷は、だんだんと薄れている。
わたしは、いま、わたしを見失いそうだ。