イジケル ~はしくれのギター弾き~
桜の季節ということで、カーステに久々に森山直太朗くんの『さくら』が
入っているMDを入れて、走ってみたわけです。
一時期、よく聴いた彼のアルバム、
『乾いた歌は魚の餌にちょうどいい』ですが、
最近はずっとご無沙汰でした。
最近の曲はあんまりちゃんと聴いていないのですが、
『さくら』で彼の存在を知ったとき、
たまたまギターで弾き語る彼をテレビで見て、
ああ、いいなって思ったんですよね。
ギター弾きのはしくれとして、
いや、はしくれのギター弾きとして、
どこか同調するものがあったので。
気分良く走っていたわたしですが、
『さくら』の次に入っている曲のあたりで、
はぁーーーーーーーーーーっとため息をついてしまいました。
あー、やだやだ、わたしはもうギターなんか弾きたくない。
と、呟いてました。
その曲のギターの音を聴いていたら、
嫉妬に似た、でももっと無力感でいっぱいな感情がわいてきてしまって。
直太朗氏じゃないのかも知れない。
もっとすごいギタリストが弾いてるのかも知れない。
そんなことは、別にどうでもいい。
でもわたしもこんな風に、弾きたいの。
不思議なもので、上手なギターフレーズを聴くといつもこうなるワケではないのです。
その違いがなんなのか、自分でも分かりません。
もっと神がかりなテクニックのフレーズを聴いても、
「あら、すごい」
って、素直に感動したりする。
なんなんでしょうね、この感覚は。
とにかく、このときのわたしは、そうでした。
ただ、口惜しくて、なんだかいじけてしまうんですね。
こんなふうに弾けないんなら、もうわたしはギターやめたいって思う。
わたしがギター弾いたって仕方ないじゃないか・・・って思う。
わたしは、ギターリストじゃない。
ギターを弾くけど、それは歌うために弾いている伴奏。
そうなんだけど、ときどき無性に、落ち込むんですよね。
なんか中途半端な自分に。
不器用なわたしが、コードを押さえられるだけでも、わたしにしては大したことなんだけれど。
まあ、こんな感情も大事です。
せいぜい口惜しがって、がんばりましょう、はい。