ばんじさいおーがうまさ!

いろいろあるけどさ、まあなんとかなるっしょ!! なんとかしよーぜ!!

預ける

うちの子どもたちは、もう保育園とは縁がありませんが、

最近の保育事情は、どんどん変わって来ているよなあーと思います。

ニーズに併せて、多様化しているというか。

病児保育とか、夜間保育とか土日保育とか、

まだまだ少ないけど、あるにはあるし。

そうかと思えば、少数精鋭(?)の、英会話スクールが運営する保育園があったり。

(英語で保育するらしい・・・)

で、そういうのを聞くと、眉をひそめるヒトもたくさんいるんだろうなあーと、

思うワケです。

『小学校までは、親は子どもの帰りを家で待っているべき』という投書を、

最近読みました。

子どもが孤独だから、世の中がこんなふうになるんだ・・・というご意見でした。

理想を言えばキリはないですが、それぞれにそれぞれの事情を抱えて、

世の中のお母さんたちは、子育てしているワケですよね。

もちろん、育児放棄しちゃってるヒトはいないとは、言いませんけど、

こーだから、こうなる!

なんて決めつけは、ないでしょう?と、わたしは思います。

よくよく考えると、わたしの持ってる概念だって、

祖母の時代と比べたら、ぜーんぜん違うんですよね。

年少さんの歳になったら、近所の保育園・幼稚園をリサーチして、

その家庭のニーズに合ったところへ、子どもを預けて、

社会性を育てる。

それが一般的なんだと、わたしは思ってます。

でも、祖母の時代には、そんな施設は身近になかったでしょうから、

おんぶして畑仕事をしたりするのが常識で。

兄弟が下の子のお守りをするのも当然で。

他人に預ける・・・なんて概念は、きっとなかっただろうなあーなんて、思うワケです。

そう思うと、多様化している最近の保育事情も、

いつかは、「当たり前」になるのかも知れませんよね。

そうして。

今度は、自分の祖父母や両親を、施設に預けてから働きに行くのが、

当たり前になる時代もくるのかも知れません。

そして、会社帰りに、迎えに行くのです。

物事って、「当たり前」になると「罪悪感」は、持たなくてよくなるものでしょうか?

『お母さんデショ!?』だけではなくて、『お嫁さんデショ!?』とか

『娘さんデショ!?』とか、そういう非難に対してさ。

いまのわたしは、そういう事柄の進化に対しても、

真ん中らへんの理解度(?)で、フラフラしているのかなあー、なんて、

いろんな記事を目にする度に、思う、今日この頃。