芽生える
いまのわたしの仕事は、保育園の乳児クラスでのアレコレ。
保育士ではない分、ちょっと中途半端な目線で、
0~2歳のお子さまたちと、日々、過ごしている。
自分の子どもを育てていたときには、気づかなかったことに、
ハッとなるときも、ある。
まだ1歳になるかならないかの子どもたちが、
わたしのところへ来て、
グーに握った手を、わたしの口元へ近づけてくる。
まだ日本語が喋れなくて、だけど、口元が、あむあむと動く。
「食べて」
というジェスチャー。
カタコトを喋れる子は、
「あーん」
と言ったりもする。
わたしは、口をあーんと開けて、架空のご馳走を頂く。
「あー、おいしい」
うれしそうに、何度も何度も、それを繰り返す、子どもたち。
そうか。
これって、自分がしてもらってるコトを、ヒトにしてあげたいっていう
気持ちの芽生えなのかなあー・・・・と、今日は思った。
自分よりも小さな子が泣いていると、何も言われてないのに、
トコトコと寄ってきて、頭をよしよしと撫でていく子もいる。
それだって、同じじゃない?
自分が泣いていると、ママが、先生が、頭をよしよししてくれる。
だから、自分も、ダレカが泣いていたら、よしよししてあげる。
まだコトバを理解していないその心いっぱいで、
彼等は、感覚だけで、それをやっているんだよなあー・・・・と、思った。
そう思ったら、なんだか無性に、いとしさがこみ上げてきて、
切ないような気持ちになった。
ヒトを愛する気持ちっていうのは、こんなふうにして、
芽生えていくのかなあって、思ったから。
オトナになっても、おんなじかも知れない。
ダレカに注がれた愛情を、心が感じると、それが、わたしの心で、
なにかを芽生えさせるんじゃないかなあ。
ちがうかなあ。