ばんじさいおーがうまさ!

いろいろあるけどさ、まあなんとかなるっしょ!! なんとかしよーぜ!!

ココロコモル

心がこもってる・・・ってコトは、

どうやって確かめればいいのでしょう?

心をこめました・・・ってコトは、

どうやって証明すればいいのでしょう?

愛情のこもった料理、とか、

愛情のこもった手作りのナニカ、とか、

でも、マズイものはマズイし、

ヘタクソなものは身につけられない・・・・よなあ。

それでも、大事なヒトにナニカしたいと思う気持ちは、

お金じゃ買えないモノだなあーって、思う。

それをカタチにしたいから、

ヒトは、慣れない手料理を作ったり、セーターを編んだり、

手紙を書いたり、時計を買ったり、指輪を買ったり・・・するんです、きっと。

だけど、

そこにこめられた想いは、なかなか、ダイレクトには伝わらなかったりする。

っていうか・・・伝わったかどうかも、なかなか確かめられない。

リアクションを求めて・・・探して、確かめるんですね。

もともと、「ナニカしたくて」したことだから、

別に、リアクションの有無は、関係ないんです。

相手の手元に届いたときに、その想いは叶ったコトになるんです。

わたしから、あなたへ・・・・という図式も、そうだけど、

歌を歌ってる場合は、わたしから、あなたたちへ・・・・という図式もあって、

それこそ、リアクションがどーのこーのとか言ってると、もうワケがわかんなくなってくる。

嫁入りのお菓子を、屋根からまくときのように、

みんなが右往左往して、わたしの歌を拾ってくれるワケもなく(笑)、

 「ご自由にお持ち下さい」

と書かれた、パンフレットのように、ただ、そこにあるだけだったりする。

それでも、わたしは歌いたかったので。

だから、歌い始めたので。

心は、どうこもっているか・・・それをコトバで説明したら、つまんないよなあー。

歌で、届けたいなあ。

うまく言えないんだけど、歌は、「たかが歌」です。

もっと言っちゃうと、歌は、わたしの排泄物です。

(って、書くと、キタナイものなのかと言われちゃうけど・・・)

わたしが、ここにいて、なにかを食べて、なにかをして、得たモノを、

わたしのカラダの中で消化して、その証を外に出す。

汗や涙が排泄物なら、それは、動いた結果だったり、心が動いた結果でしょう。

歌も、そうです。

わたしが、誰かと知り合って、ナニカを感じて、それが歌になる。

心がこもってるから、大事にしてね・・・・なーんて、そんな大層なモノでは、ないのです。

ほんとに。

あなたと出逢って、こんな気持ちになりました。

・・・・そう伝えたいだけなんです。

感情は、目に見えない。

だけど、喜怒哀楽は、ここにある。

それを、わたしは、こうして、綴る。

ああそうだ、こうして綴る、これも排泄の一部なんだ。

喜怒哀楽を、消化して、出してる。

すっごく、心こめて、出してる。

あなたは、こうして読んで、これをあなたの中に取り込んでくれる。

そして、このカキモノが、歌が、ナニカが、あなたの中で、あなたのナニカになって、

そうして、あなたもその感情を、いつかナニカに変えて、出すのかも知れない。

心をこめて。

ただそれだけのコト。

きっと、それだけのコト。

でもそれが、それこそが、素敵なコト。

歌は、ここにあるの。

ただ、あるの。

それ以上でも、それ以下でもない・・・・・わたしの歌。